SOCIEDADE Banner
BRAZIL 日系社会 特集 TOP ニュース
+
他の日系社会特集
開発青年隊、レジストロに3人
映画「ガイジン」から20年
在外選挙 外務省、総務省担当に聞く
武士道求めるブラジル人たち
「在外選挙」アンケート調査
神戸港移民乗船記念碑
2000年度の査証発給数急増
開かれたコロニアづくり
大学院生ポルトガル語研修に来伯
日本に届かなかった手紙−戦時のアマゾンで書く
ブラジルで武者修業
移民船「笠戸丸」復元絵画
55歳で大学生−赴任の夫とブラジルへ愛がある日系人高齢化問題論文
日本の礼儀作法、教えて人気
昔受けた親切に‐71歳の今、報いたい
30年来“恋仲”の縁:ダムの底に沈む家から−日系孤老を引取る(続き)
ブラジルの田舎町で柔道を教える松尾三久さんの奮闘記
30年来“恋仲”の縁:ダムの底に沈む家から−日系孤老を引取
この熱意、中高年世代−日語成人講座で学ぶ
時津風理事長:移民に理解示す、笠戸丸移民に贈り物
相談がない「教育問題」
五輪選手を育て続ける
率直に日本語スピーチ
サンパウロ・大阪姉妹都市30周年記念
4世にも「就労査証」を日本で声高まる
日系ブラジル人求人数急増
石井バニア選手五輪出場へ
ポルトガル語『ムサシ』空前の売れ行き
選挙、公館投票終わる
ポンタポラン生まれ森岡さん−大学野球からプロ入りねらう‐甲子園でも登板した

  一昨年の高校選抜野球大会(春の甲子園)。明徳義塾(高知)の二番手投手にブラジル人、森岡エデル次郎選手がいた。コロニアの野球ファンの間でも話題になった。森岡は、今も大学で野球を続けている。浜松市で就労している父親伸由さんから仕送りがあるからできるのだ。朝日新聞(6月30日付)は、森岡親子のことを「祖国で二人三脚、父の姿思い弱音を封印」と書いた。

 福井工業大2年の左腕、森岡次郎(21)は、六畳一間の寮の窓際に、黒いグラブを飾っている。大事な試合以外決して使わない宝物だ。
 1999年の選抜大会。森岡は明徳義塾の二番手投手として、甲子園球場のマウンドに立った。黒いグラブをはめていた。
 相手は海星(三重)。4点リードされた8回からの登板だった。プレートをはずし、一つ息をつく。肩が軽くなったような気がした。試合には負けたが、3回を無失点に抑え、2三振を奪った。
 黒いグラブは、ブラジルから来た父の伸由が、選抜の直前に買ってくれた。
 森岡は父を追って16歳で来日し、高知県の中学校に入った。日常会話は不自由しなかったが、国語や歴史の授業では苦労した。選抜に出たときは、19歳になっていたが、高野連が出場資格を変更し、特別に参加できた。そのマウンドが高校最後の公式戦になった。

 ブラジルとパラグアイの国境、南マトグロッソ州にポンタポラン(Ponta Pora)という町がある。森岡はここで生まれた。9歳のとき、父が監督する少年野球チームにはいり、中学時代には全ブラジル大会で準優勝した。将来、野球で生計を立てたいと思っていたところ、日本の親戚が送ってくれた夏の甲子園のビデオを見た。レベルの高さに驚いた。
 「日本の高校で野球をやりたい」。中学卒業を前に、森岡は日本で働いている父に電話した。伸由も「素質があるなら日本でやらせてみたい」と前から思っていた。親戚の多い高知県で、土木作業員として働きながら、息子の受け入れ先を探した。
 月収20万円のうち、10万円をブラジルの妻と森岡ら3人の生活費に送る。家賃を払うと手元に7万円しか残らない。そこから息子の渡航費や学費を少しずつためた。

 明徳義塾に進んだ森岡は練習方法の違いに面食らった。最初の半年間はただ走るだけ。苦しくて寮の公衆電話から「ブラジルに帰りたい」となんども訴えた。伸由も「仕方ないな」と言ったが、森岡本人が数日後「やっぱりもう少し頑張るよ」と告げた。
 父は朝6時に家を出て建設現場で働いていた。休みもほとんどないのに「疲れた」とぐちひとつ言わない。ブラジルに帰ったこともない。その姿を思い浮かべ「弱音なんて吐いている場合じゃない」と思い直した。練習を重ね、2年の秋には背番号13をもぎ取った。

 父伸由は、小学2年のとき、両親と高知県窪川町からブラジルに移住した。大豆や麦の栽培で成功したかに見えた。だが、農産物の価格が下がり、生活が苦しくなっていった。日系人たちは次々と町を離れた。
 父は今、静岡県浜松市のバイク工場で働き、息子に月3万円の仕送りを続ける。「次郎は私の夢です」と言う。森岡は高校卒業前に日本の国籍を取った。「プロの選手になって父に恩返ししたい」と思う。=敬称略

ニッケイ新聞)


| ホームページ | こんな国だよぶらじる | チャット | 掲示板 | サイトマップ |

(C) 2001 - eBRAZIL. All Rights Reserved.