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昔受けた親切に‐71歳の今、報いたい
55年移住、8年間営農後帰国‐恩返し“志願”依田さん再来伯

 依田道雄さん(71、長野県出身)は、1955年にブラジルに移住した。家族とともにグァルリョスで野菜栽培に励んだ。その後、体調を崩しブラジルでの生活を断念、帰国した。お世話になったブラジルにどうしてもお返しがしたいと今回、単身で来伯。日系団体でボランティアをしたいと受け入れ先を探している。
 長野県の農家に生まれた依田さんは、小さいころから農業に親しみ野山を駆け巡った。東京の大学に進学し、農村青年の集まりである「4Hクラブ」で、農業研修を重ねた。そのころから外国での農業に目覚めたという。
 大学卒業後、結婚し1955年、夫婦でブラジルに移住した。26歳の挑戦。グァルリョスに土地を借り、野菜栽培した。知人の配慮によりフェイラ(青空市場)の売り場を無料拝借。野菜を販売し、生計を立てた。
 そして二男一女をもうけた。けっして裕福とはいえない当時の生活を察してか、産院では出産費用を受け取らなかった。「もともと同じ日本人に世話になるのは気が引け、自分で何でもやった。その分、ブラジル人にはお世話になった。カトリックの国柄なのでしょう。本当に親切にしてもらった。感謝しています」と依田さんは語る。
 その後、1ヘクタール余りの土地で、ブラジル人の使用人を使いトマト栽培を始めた。時期をずらし品薄になってから品物を出荷。順調な生産だった。
 そんな折り、依田さんは農薬中毒にかかる。細心の注意を払わないと死亡する恐れのある農薬散布。使用人のだれにも任せず、依田さんは一人でこれをこなした。ところが過労と農薬中毒から、体が起たなくなった。そして63年、無念な思いで帰国を決意。家族とともにブラジルを後にした。
 帰国後は体調を取り戻し、高度経済成長真っ只中の日本で、自動車セールスで家計を支えた。子供が一人前になった頃、会社役員から隠居した。
 5年前、妻をガンで亡くした。雪深い田舎での一人暮らし。頭に浮かぶのは家族で過ごしたブラジルでの生活だった。
 「雪の中に閉じこもっているくらいだったら、自分で何かできないか」と依田さんは決意。新聞広告で見た国際協力事業団(JICA)のシニアボランティアに応募した。自分の技術が何かの役に立てばと、パラグアイで募集していた農業技術指導者を志した。一次試験には合格したが、健康診断で引っ掛かった。不合格になった。
 その悔しさをバネに一年間、スポーツジムに通い、体を鍛え体調を整えた。そして日本でしか手に入らない野菜の種を持参し、自費で渡伯。自分が何かの役に立たないかと、一年間ほど奉仕を希望する。
 「ボランティアなんて大袈裟なものではありません。ただ、年寄りのわがままとでもいうのでしょうか。なんとか昔の親切に報いたい。自分の技術が役立てば」と。


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