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ブラジルの田舎町で柔道を教える松尾三久さんの奮闘記

体育以上の柔道めざす(上)
異なる趣き、ミナス州ポッソス道場-800人が通って来る-子供達と入れ替わり立ち替わり

 柔道の道場というと、柔道着を着た選手が身体と身体をぶつけ合い、心身ともに鍛える真剣勝負の場、というイメージがあるだろう。しかしサンパウロ市から250キロメートル離れたミナス・ジェライス州ポッソス・デ・カルダス柔道道場を平日の昼間に訪れると、多少趣が違う。子供たちのキャアキャアわいわいと楽しそうな声が聞こえる。朝から午後にかけて市営の託児所や、孤児用のレクリアンサ、カーザ・デ・メノールなどの学校の生徒たちが、担任教師に引率されて入れ替わり立ち変わり集まって来る。ここで指導をしているのは松尾三久さん(57)、市の職員として、道場で子供たちに体育を教えている。
 いちばん小さいクラスは4、5歳の子供たち。靴を脱いで道場に上がると、輪になって体操をする。松尾さんが小さい柔道着を持ってくると、子供たちは我先にと手を上げる。一人の子が柔道着を着せてもらうと、松尾さんに飛びかかっていく。松尾さんに投げ飛ばされ、時には松尾さんを投げ飛ばし、みんなから拍手喝采を浴びる。
 学校によって違いがあるだろうが、ブラジルの体育教育はドッジボール、サッカーなどレクリエーション的に行うものが多い。しかし身体の柔軟性、機敏性、瞬発力、回転能力、持久力などが劣っている、というよりそういう訓練をしていないのが現状であろう。ブラジル人はサッカーがうまいが、そういう面では劣っている。それを補うのがポッソス道場での体育教育だ。
 ブラジルの自由放任教育の影響からか、子供たちは大変騒がしい。それを松尾さんは「道場では静かにする所」ということから始めて、おしゃべりしないで注意力を身につけ、団体訓練ができるようにする。柔道は格闘技、相手を投げる時、投げられる時にふざけていたらケガをする。
 道場に出入りするときは礼をすること、靴をそろえて、汚さないこと、そういう基本的なことから始める。松尾さんも子供たちから移されたノミやシラミに刺されることがある。自分の身体を清潔にして、相手を困らせない、そういう配慮ができるようになってほしい。それが道場だけでなく、学校、家でもそうなってくれればいい。
 しかし、難しいことを言っても仕方がないので、子供たちが道場に行って「楽しかった」と思ってくれれば十分だと松尾さんは思う。道場には現在800人もの人たちが通ってくる。自分の農場を持って牛を千頭飼うことを夢見てブラジルに移住した松尾さん。しかし道場に通ってくる大勢の子供たちの顔を見ると、「これでよかったのかもしれない」と思う。この子供たちが松尾さんにとって大切な宝物になっている。

体育以上の柔道めざす−(中)
異る趣き、ミナス州ポッソス道場−無給の指導8年間−松尾さん、現在は市の職員

 ポッソス・デ・カルダス柔道道場の松尾三久さんは1943年生まれ、埼玉県浦和市出身。子供の頃は病弱だったが、親戚中の反対を押し切って中学から柔道を始め、大学まで続けた。65年に東京農業大学拓殖学科を卒業してブラジルに移住、その時も柔道着を一緒に持ってきた。ベレン、ブラジリア、サンパウロ州、パラナ州で6年間農業をしたが、この労働は体力を付けるのに役立ち、仕事の合間にもトレーニングを積んだ。
 72年、パラナ州柔道連盟の桑元ジャイメ会長(当時)から、パラナ州ロンドリーナ・カントリークラブ柔道場の指導を依頼され、6年間教えた。選手は強くなったものの、生徒が減って生活が非常に厳しくなった。そこで元ウジミナスの岩船貢氏、全伯講道館有段者会の岡野修平理事の世話で、78年ポッソス・デ・カルダス市に移転、柔道の指導にあたる。
 ところがポッソス道場には生徒が少なく、非常に弱かった。そこで松尾さんは市体育局に60人の子供を無料で指導すると申し出た。その後練習は活発になっていき、その中から現在ブラジル男子73キロ級のホープ、マルコ・アントニオ・イナシオなどが育っていった。
 無給の指導を8年間続けた後、市当局はようやく2最低給与(1最低給与は約9千円)を支給するようになった。しかし子供を8人抱えた身では生活が非常に厳しかったのは言うまでもない。そのまま黙って9年間指導を続けた。1995年、市は元工場を改造して200畳の新しい道場を作り、「全面協力するから盛大にやってほしい」と松尾さんに要請、ようやく市の職員として〃人並みの給料〃が支払われるようになった。
 ポッソス道場と隣接して、市の体育館、職業訓練校、お年寄りに食事を提供する食堂などがある。しかしそのトイレや更衣室は落書だらけ、窓ガラスが割られ、便器が壊されている。どうしようもない貧富の差に、将来へ希望が持てない子供たちが、やり場のない怒りに任せて物を壊す。そんな子供たちの気持ちが少しでも和らいでくれればと、松尾さんは道場の生徒たちと共に、3年前から庭に草花を植えた。
 市の体育局では、柔道をスポーツというより、文化と捉えている。〃近代柔道の父〃といわれる講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は「柔道は体育であるが、それ以外、以上の面を持つ」と語ったが、その精神はブラジルにおいて理解されているようだ。
(瓜谷美由紀記者)

体育以上の柔道めざす-(下)
異なる趣き、ミナス州ポッソス道場-レベルが高い初段、ブラジル、日本と差

 昼間は子供たちのはしゃぐ姿が見られるポッソス・デ・カルダスの柔道道場、しかし夕方になると様子が一変、真剣勝負の場となる。毎日午後5時半から8時半まで、激しい練習が行われる。夜間部の生徒数は約80人、大人には月謝を「払えるだけ」と言っているが、実際払っている人は少ない。
 とても暑い道場内で、生徒たちは熱心に練習する。中には朝7時から午後3時まで仕事、5時から7時まで柔道の練習、それから学校へ走って行って夜9時まで勉強するという毎日を過ごす人もいる。柔道に夢中になって親から止められ、仕事をすることになって柔道の練習に行けなくなり、涙を流す人も。なぜそこまでして続けるか、と聞くと、「柔道が好きだから」「先生(松尾さん)が好きだから」と答える。
 日本では14歳で初段が取れるが、ポッソス道場では20歳にならないと試験を受けさせない。ブラジル柔道連盟また各州柔道連盟は、その昇段審査の中で、その柔道の目的、本質を徹底的に教えて、技術面の基本となる「形」と「五教」とあわせて昇段候補者をしごく。ブラジルの初段者は非常にレベルが高いので、道場を持つことも可能だ。
 ポッソス道場は南ミナス柔道協会に加盟している。同協会は南部ミナス地方の約14の市と17の道場によって構成されており、750人の登録選手がいる。3月から11月まで、毎月各市で試合、合同練習が行われる。15歳以上の生徒の目標はただ一つ、サンパウロ大会優勝であるが、これが非常に難しく、これまで2人しか優勝していない。
 地方の小都市では18歳にもなると大都市へ進学したり、仕事をするため生徒の確保が難しくなる。そこで今年は道場に来る子供たちの中から有望選手を選び、柔道着を与えて夜間部に移そうと、松尾さんは考えている。柔道着は保険会社のウニメッジが協力を申し出ている。有望選手はサンパウロ市へ行ってもらい、その強化を専門とする柔道家の石井千秋氏、小野寺郁男氏、篠原正夫氏に指導をお願いする。そのためにも今年も大勢やってくる貧しい子供たちに初歩の練習をさせて心身共に強く育て、市体育局と教育局がポッソス道場に寄せる期待に応えたいと、松尾さんは思う。
 今月から市警の警察官50人、5月からは兵役を終えた200人の青年を4組に分けて、午前7時から柔道を指導をする予定である。来年は指導する生徒が1000人を越え、ますます松尾さんの仕事が増えることになる。しかしこの青年たちの中から有望な柔道選手が出てくるかもしれない。青年たちの指導に、松尾さんの期待は大きい。
 柔道場はまだまだ敷居が高い。ポッソス道場での体育教育が種蒔きとなって、ブラジル柔道の門戸を広げていく、その試みは始まったばかりだ。
(ニッケイ新聞社:瓜谷美由紀記者)


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