この熱意、中高年世代−日語成人講座で学ぶ
日本語を勉強しているのはなにも子供に限らない。最近では中高年で日本語を学び始める日系人が、徐々にではあるが増えている。学びたくても学べなかった戦中戦後の混乱期、日本語など必要ないと教育された世代が今、日本語に注目する。ブラジル鳥取県人会(西谷博会長)の日本語教室には、子供たちの通う日中のクラスだけでなく、夜には成人向けのクラスも開講している。火曜日と木曜日の午後8時からの授業には、高校生から社会人までが学んでいる。
現役の技術者ら、子供のころ機会なかった
このクラスに通う吉村セルジオさん(49、二世)は、日本語の勉強を始めて2年。10代の学生や20代の社会人と一緒に席を並べる。最前列に陣取り、教師の話に熱心に耳を傾ける。
セルジオさんの仕事は土木設計技師。職場で日本語を使う機会はまったくないという。日本語を学ぼうと思ったきっかけは、「子供の時、日本語学校もなく、また日本語教師もおらず勉強したくても勉強できなかった」ため。
授業中でもセルジオさんは、発話や聴解など積極的に参加し、若い生徒には負けない。逆に他の生徒に教えることもたびたび。昨年は日本語能力試験四級を受験し、合格もした。
「父は大変知識の豊富な人でした。その父が亡くなり、自分が日本語が話せず、何も知らないことが辛かった。少しでも父のように、日本語が話せるようになりたい」とセルジオさん。自宅では高校生の息子も一緒に日本語を勉強している。50代を目前にしての新たな挑戦を楽しむ。
11月11日にサンパウロで、「第六回全ブラジル・スピーチ・コンテスト」が開催された。コンテストのBカテゴリーに出場し優勝したブラジリア代表の杉野秀雄さん(50、二世)も日本語を学び始めたのはつい3年前、47歳の時から。
当時、杉野さんは潅漑施設造成のプロジェクトに携わっていた。日本から来た技術者に日本語で話しかけられたが、答えることができなかった。
「恥ずかしいやら悔しいやらで、それで日本語を学び始めました」
8歳から15歳まで日本語を勉強していたが、その後の進学と技術者としての職務では全く日本語は使わなかった。「勉強を再開したときは全く話せませんでした」と振り返る。それでも子供の頃を思い出しながら日本語に取り組んだ。
国際協力事業団(JICA)の技術研修も受け、日本で日本語と最先端の技術を学ぶ機会も得た。「日本の研修ではモテモテでした。他の研修生が全く日本語ができませんから。通訳として引っ張りだこ」。
帰国後も日本語が使える数少ない技術者として、仕事の場が広がった。「チャンスが増えましたね。子供のころに(日本語学習を)挫折しましたが、後悔はしてません。いま勉強していますから」と杉野さんは笑顔で答える。「次は日本人に自分から声をかけます」ときっぱり。
こうした日本語を学ぶ中高年学習者の数は、統計だった資料がないため正式な人数がわからないのが実情だ。しかし毎年行われている日本語能力試験では、中高年の受験者が年々、目に見えて増えていると日本語普及センター(柳森優理事長)ではみている。
訪日就労のために日本語を学ぶ人や、カラオケをさらに上手に歌おうと日本語を学び始める人もまた、少なくない。