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日系社会特集

● ポルトガル語『ムサシ』空前の売れ行き

3万5千部突破!注目される日本の時代文学
 サンパウロ市アルファ・ビーレ在住の後藤田怜子さん(五九)がポルトガル語に翻訳し、昨年八月に第一巻が発売された「ムサシ」(エスタソン・リベルダーデ出版。原作=『宮本武蔵』吉川英治著)の売り上げ部数がその続編と合わせて三万五千部を突破した。電話帳のような厚さ<五十レアル(約三千円)近い値段設定。新聞連載小説だったため読みやすい内容とはいえ、れっきとした日本の時代文学。当初は出版社、翻訳者ともに『たいして売れないはず」と想像していた。が、ふたを開けてみれぱ、日本文学の翻訳物としては空前のベストセラーに。サムライ精神をブラジルに伝える書ともなった。

サムライ精神伝える
 後藤田さんはこの「ムサシ」で初めて、日ポ語の翻訳を手掛けた。もともとは英語訳の方を得意としているため、「ムサシ」には相当てこずった。時代背景の考察に、武士の言葉使い、二世の後藤田さんは夫(一世)の助けも多く借りて、ときには「一日十時間も机に向かい」、完成にこぎつけた。それだけに予想外の反響に喜びは尽きない。昨年十月には訪日し、宮本武蔵の足跡をたどる旅にも出掛けてきた。

次は村上春樹
 出版社には今も読者からは「時代物の小説がもっと読みたい」、「『ムサシ』の続編はないのか」という声が多く寄せられている。サムライが活躍した時代の日本への関心は予想以上に高い。しかし、エスタソン・リベルダーデ出版が次に用意した日本文学は村上春樹の『羊をめぐる冒険」(一九八五年)。これも後藤田さんが翻訳し、既に完了。来月にも発売が予定されている。後藤田さんによると、同出版社は「初めから時代物の次は現代の小説で行こうと決めていた」という。こちらは「ムサシ」とは百八十度違った世界。今度は現代日本の風俗や若者の感性を見聞きしていないと、行間の空気をうまく伝えることができないように思えるが。「でも特に分からないという感じはなかったです」と後藤田さん。
 「現代のアメリカ文学に影響を受けている村上さんの作品は英語に訳しやすい日本語によって書かれているという印象を受けます。村上さん自身が英語の翻訳を手掛けているせいかも知れませんね。『ムサシ』よりもずっと簡単に仕上げることができました」。

後藤田怜子 谷崎の「卍」にも挑戦
あこがれの伯父の作品翻訳
 そして、後藤田さんは自他ともに長く待ち望んでいた作家の世界に挑んでいる。伯父にあたる昭和の文豪、谷崎潤一郎だ。コンパニァ・ダス・レトラス出版に依頼された作品は異色の短編「卍」(一九二八年)。谷崎の作品はブラジルでも「ナオミ(原作=『痴人の愛』」など何冊か翻訳出版されているが、どれも英語やフランス語からの翻訳。日本語からの翻訳はこれが初めてになる。 「卍」は上方の言葉を話す女性のモノローグで展開する。女性の同性愛、三角関係のもつれ、心中などが主題で、谷崎の初期の作品に特有なエロチックで退廃的な雰囲気が充満している。後藤田さんは「あの時代にこんなアバンギャルドな作品を書くなんて、見事なもの。大胆な世界を自由に小説化していると思います」と〃伯父”が七十年前に書いた短編を評価する。
 既にラフな翻訳は終えている。これから詰めの段階に入るというが、会話の部分の翻訳には苦労している。階級、学歴によって言葉使いが違うブラジルならば、話を聞けばすぐにどういう人が話しているのかが分かるが、日本の社会では判断しにくい。「日本ではインテリも市井の人々も同じような話し方をする。文学の世界でもそうだから、ブラジル人にどうやって会話の主体を分からせるか、が難しいですね」。
 伯父の作品だが、気負いはまったくないようだ。「伯父とはいっても、『細雪』や『蓼食う虫』、それに彼が現代語訳した『源氏物語』しか読んでいませんし」と案外、そっけない。それでも後藤田さんはいう。「英語では翻訳されることに関しては本人も自信があったのでしょうが、まさかポルトガル語版が出るとは思っていなかったでしょう。ましてや姪(めい)がそれをやることになるなんてね」。
 書店に並ぶのは国際交流基金の援助を待って、来年にずれ込むことになるという。

(ニッケイ新聞より)


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